データ説明
明治35年
12月28日
兵庫県津名郡東浦町に生まれる。(父・井植清太郎、母・こまつ)
大正6年
3月
浦尋常高等小学校高等科卒業。このころ、親戚の新阜文吉の船に乗り、見習い船員となる。
6月ごろ
松下幸之助氏のもとでソケット造りを始める。
大正7年
3月
松下電気器具製作所が発足し、改めて入所する。
大正9年
3月
西野田工業専修学校夜間部卒業。
東京方面の販路開拓のため、単身で東京へ駐在。
大正12年
9月
関東大震災に遭遇。
12月
入営。旅順の重砲隊で軍隊生活をおくる。
大正15年
1月
除隊し松下電器に復職。
昭和2年
10月
ひで子夫人と結婚。
昭和10年
12月
松下電器産業株式会社の設立とともに専務取締役となる。
松下無線の社長、松下金属の副社長、松下乾電池、松下電動機の各専務取締役などを兼務。
昭和17年
4月
松下造船の社長を兼務、軍の命令下で木造船を造る。
昭和21年
12月
松下電器と関連会社の役員を全て辞任。
大阪府守口市本町に6畳ほどの部屋を借り、新しい事業の構想を練る。
昭和22年
1月
個人経営で三洋電機製作所を創設。
2月
北條工場を開設、「7人の侍」とともに発電ランプの製造を始める。
3月
守口工場を開設、進駐軍向けの電気スタンドなどの製造を始める。
11月
守口工場が全焼。
昭和25年
4月
三洋電機株式会社を設立、社長に就任。
昭和27年
3月
日本で初めてのプラスチックラジオを開発。
昭和28年
5月
電子機械工業会理事に就任。
8月
日本で初めての噴流式洗濯機を開発。我が国に家庭電化の元年をもたらす。
昭和31年
8月
国土開発のため土地会社の経営に着手。
神戸市ジェームス山でブルドーザーによる土地造成を始める。
淡路島に財団法人井植愛郷会を設立、社会教育、文化教育の向上に努める。
昭和33年
5月
日本電機工業会常任評議員に就任。
10月
初めて欧米を視察。
昭和34年
7月
東京三洋電機設立、社長に就任。
昭和36年
1月
初の経営方針発表会開催。三洋の社名の起源も発表。
10月
世界に100の工場をめざして三洋電機(香港)有限公司を設立。
関西の若手財界人によって、社長学の研修会「井植学校」始まる。
昭和37年
3月
日本ガーナ協会会長に就任。
4月
淡路フェリーボートを設立、会長に就任。
5月
藍綬褒章を受ける。
経済団体連合会理事に就任。
昭和39年
2月
東浦町名誉町民となる。
昭和41年
5月
洲本市名誉市民となる。
7月
鳥取三洋電機設立、社長に就任。
昭和42年
7月
西淡町名誉町民となる。
10月
住友銀行の頭取堀田庄三氏とともに宝塚海軍航空隊予科練習生の墓地に慈母観音像を建立。
神戸市教育委員に就任。
12月
農林省農業機械化審議会委員に就任。
昭和43年
1月
取締役会長に就任。
12月
国立大阪病院に入院。
昭和44年
6月
京浜阪神フェリー設立、社長に就任。
7月16日
永眠。正四位に叙せられ、勲二等瑞宝章を受ける。
7月19日
守口市民会館で社葬。意志により寄贈の10億円を基金に財団法人井植記念会発足。
昭和45年
7月
神戸市垂水区に井植記念館が完成。
平成元年
10月
鳥取市名誉市民に。